理事長挨拶
「新たなる序章を迎えた日本内観学会」 |
…日本内観学会は日本内観医学会と統合され新たに出発します!… |
平成29(2017)年7月8日、日本内観学会と日本内観医学会が一つの学会として新たに出発することになりました。日本内観学会は、吉本伊信氏を顧問に、村瀬孝雄理事長のもと、昭和53年に設立され、京都の御香宮にて開催された第1回大会(三木善彦大会長)は会場が熱気で溢れていたことを思い出します。内観のさらなる利用、適用の拡大や臨床効果・効能の機序の研究、内観・内観療法の啓発・研鑽が論議されながらの出発でした。村瀬先生は19年にわたり学会を牽引され、内観研究の活性化と学会の発展に尽くされました。「村瀬先生は日本文化の中心的価値観である『素直』と『清々しさ』を内観の重要なキーワードとして教示された」と偲ぶ言葉を述べられた竹元隆洋先生が平成10年より理事長を継がれ、平成15年より巽 信夫先生、そして平成24年より堀井と引き継がれて今日を迎えています。 日本内観医学会は、第21回内観学会の平成10(1998)年、内観の医療での応用の拡大を、と、故川原隆三先生(元鳥取大学教授)が設立されたものです。川原先生は、内観療法の理論的研究にあたって、欧米の学説だけで解析することは困難であり、シルクロードの最終地である、この日本から世界に向かって発信し、世界の心理療法としてその役割をになうことを考えており、医療への応用には、実際に、担当教室の病棟の一部を内観療法室に改変し、うつ病などの気分障害や神経症性障害の患者さんに適用し、精神医学の分野に内観療法をと大きな効果を収めました。吉松和哉、越野好文、人見一彦、小島卓也教授ほか全国の大学、医学臨床分野に内観を広め、同時に国際化を進められ、平成15(2003)年、第6回内観医学会を米子で担当(大会長)をされたときに国際内観療法学会を設立、第1回大会を開催されました。国際内観療法学会は中国、韓国の内観療法家と数年毎に各国で開催して行こうというもので、今も中国と日本(韓国も参加あり)で続いています。川原先生は残念ながら平成19(2007)年に逝去され、学会は九州大学心療内科の久保千春先生が後を継いでおられました。久保先生が九州大学総長になられた後、長山恵一先生が理事長を務めて第20回今日に至っていました。 そして、第40回日本内観学会と第20回日本内観医学会が内観療法を精神科医療に応用する発端を作られた奥村二吉先生の活動の場であった岡山で、今年、平成29年二つの学会は統合し、新たに出発することになりました。 新しい内観学会は幾つかの大きな課題を抱えて出発します。一つは日本で生まれた貴重な精神療法として、名前だけではなく、医学的な価値ある治療法としての確立、つまり学術団体としての学会になる必要があります。そのためには研修体制、学会認定制度をきちんと制定し、日本のそして世界に通用する精神療法の基本を確実なものにしていく使命があります。二つ目に内観学会設立当時からの課題である、治療機制のさらなる解明と内観の効用の統計的な集積をしていくこと、三つ目に内観・内観療法の医療だけではない、学校(教育)、企業(ストレス対策など)、よりよい生き方(生き甲斐)の獲得に結びついた内観の普及があります。四つ目は集中内観の体験に結びつく日常内観、簡易内観の工夫をしていきながらそれらを研修の中に組み入れて学び易くしていくこと、そして最後の五つ目の内観の普及を図ること、が課題です。これらは会員全員の力とエネルギーが必要です。改めて会員の皆様のご協力をお願いする次第です。 第40回を迎えた日本内観学会は、日本内観医学会のパワーを併せて、新しい序章を迎えることになりました。吉本伊信が成立させた内観・内観療法を村瀬孝雄、竹元隆洋、川原隆三、久保千春先生はじめ多くの先生に育てていただき、私達(長山恵一、真栄城輝明両副理事長はじめ理事・評議員の先生方)が名誉会員や会員の皆様のご協力を得て新たなる道を切り開いていくことになりました。新たなる序章の開拓に向けて会員の皆様のご参加、ご協賛を重ねてよろしくお願いいたします。
平成29年11月1日記 日本内観学会理事長 堀井 茂男